雷電山古墳(雷電神社) 東松山市内の古墳

雷電山古墳は県道391号線から丘陵地帯を登ったところにあり、周囲は川越CCになっています。 三千塚古墳群の1基である雷電山古墳は5世紀初頭に築造された全長約86m、高さ約6mの帆立貝式古墳です。


川越CCクラブハウス手前に雷電山古墳の標柱があり、ここを右に入ると

雷電神社の鳥居(登り口)があります。

大雷神社祭礼相撲場跡 市指定史跡

案内板より

旧大谷村の総鎮守大雷神社の社殿を中心に、辻(相撲場)が二ヶ所あり、一の辻・二の辻と呼ばれ、一の辻は大相撲に、二の辻は草相撲に使用されていました。辻には三百席ぐらいの桟敷席が、傾斜地を巧みに利用して造られていました。現在は二の辻だけが残っています。大雷神社の相撲は、江戸時代中頃から行われていたと伝えられています。相撲の興業には、領主だけでなく関東取締役の特別の許可が必要でした。相撲興業には、近在の人々が大勢集まり、「関東三大辻相撲」の一つといわれるほどにぎわいました。この日、祝酒とともに「ぼたもち」を相撲見物の人たちにふるまったことから「大谷のぼたもち相撲」とも呼ばれ、大変親しまれていましたが、明治二十年頃を最後にその姿を消しました。
昭和61年3月 東松山市教育委員会

三千塚古墳群

案内板より

昭和31年2月市指定史跡
大岡地区には、雷電山古墳を中心として、数多くの小さな古墳が群集しています。これらの多くの古墳を総称して「三千塚古墳群」と呼んでいます。 三千塚古墳群は、明治二十年~三十年頃にそのほとんどが盗掘されてしまいました。そのときに出土した遺物は、県外に持ち出されてしまい不明ですが、一部は国立博物館に収蔵されています。三千塚古墳群からは、古墳時代後期(六~七世紀)の古墳から発見される遺物(直刀・刀子・勾玉・菅玉など)が出土しています。 雷電山古墳は、これらの小さな古墳を見わたす丘陵の上に作られています。この古墳は、高さ八m・長さ八十mの大きさの帆立貝式古墳(前方後円墳の一種)です。雷電山古墳からは、埴輪や底部穿孔土器(底に穴をあけた土器)などが発見されています。 雷電山古墳は、造られた場所や埴輪などから五世紀初頭(今から千五百年位前)に造られたものと思われます。また、雷電山古墳の周辺にある小さな古墳は、六世紀初頭から七世紀後半にかけて造られつづけた古墳であると思われます。
昭和52年3月 東松山市教育委員会

雷電山古墳基本情報

所在地:東松山市大谷
古墳規模:周濠8.0m、総長推定99.0m、墳長84.0m、後円径58.0m・高6.0m・頂径25.0m
墳形:帆立貝式古墳(後円部のみ現存)
出土品:埴輪、底部穿孔土器
アクセス:関越道東松山インターより15~20分




雷電神社

雷電山古墳への道動画



雷電山古墳付近地図


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